残照に立つ

残照に立つ
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「残照に立つ」
曽野 綾子 著
文春文庫  400円

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かなり古い本である。
第1刷が1979年の本だから、これをネットで探したが
古本でしか存在していなかった。2円!
紹介しても、皆様が読めるか不明であるが。

母ほどの年齢の知り合いの方に、教えてもらった本である。
一片も欠けた所がないほど、幸せな夫人が出て来るというので
その幸せというものを具体的に見てみたいと思って、読んでみた。


随分、重厚な話だった。
人間というものをよく見つめるこの作家らしく
平凡ながら様々なドラマのある人物達が、脇に出て来て
それぞれの不幸が群像劇のように立ち並ぶ。
こんなに多くの普通の人々の不幸が、重なり合う日常の小説を
久しぶりに読んだ気がした。
最近読んできた現代の小説は、なんと平面的なのだろうと思った。

少しずつ時代の差を感じる小説だった。

その構成も、今はここまで重厚な群像劇は流行ってない気がする。
もっと主人公とその周りだけに焦点を絞った小説が大多数だろう。

この中に群像として出て来る人々も
夫人の長女の夫の不倫相手や、長男に思いを寄せる未亡人など
我慢と忍耐しかないような悲惨な人生の中で
たった1度の、幸福な思い出や浴衣をもらう喜び。
その思い出1つだけを生涯の思い出として、心の拠り所にして生きていく。
今の若い人達は、ここまできっと我慢をしない気がする。

けれど、その時代の差を差し引いても
十分読み応えがあり、その世界にぐいぐい引き込まれる小説だった。


夫に、あらゆる荒波や不幸や心配事から守られて、広い家に住み
一男一女を設け孫に恵まれ、家事以外ほぼする事のない、
絵に描いたような幸せな老夫人。
かたや、生活する事にだけ心血を注いで、女手ひとつで息子を育て
家のローンを払い、お金を貯めて老人ホームへ入る為に
家政婦として働く「梅田さん」
この対照的な2人が対話式に、様々な群像の不幸な日常を隣で見ながら
夫人の晩年に抱く無念の思いを、形にしていく。


夫人は、何もすべき事や心配事や計算がない為に
現実をただありのまま見ればいい。
誰よりも、初心を忘れず曇りのない眼を持った人として描かれる。
それ故に、60を超えてから初めて、
彼女は自分がちゃんと生きて来なかったと、気付くのである。
人生と渡り歩く事もせず(ただ夫に全て守られて)
人生を楽しむのが下手だったと(世間に縛られ、夜というものも味わって来ず)
自分は生き抜かなかったと(何も産まず殺しもせず)
幾度となく、形を変え、そう呟く。
世間的には満ち足りた幸福である筈の夫人は
「自分の人生は失敗だった。」と最後に言うのである。
なんという皮肉であろうか。

その人生が失敗なら、
小さな事に騒ぎ、揉まれ、右往左往している庶民の人生は
なんと生き生きしている事になるのだろう!
それは、或る意味、苦労人や不幸のある人にとっての
最高の救いではないだろうか?

誰の中にも厳然とした不幸がある。
その観念を教えてくれたのは、この曽野綾子だった。
ある時まで、自分だけがこんなに苦しくて不運ばかりで
周り中が幸せで,自分だけがこんな目に遭っていると思っていた。
そうではない事を、静かに、この作者は小説やエッセイで教えてくれた。
人それぞれ、らしい年代というのがあるのなら
永遠の少女と呼ばれる人がいるように
曽野綾子という作家は、既に老成した作家であり
既にこの時期から、残照に立っていた作家なのかもしれない。
どんどん実年齢が追い付いていくにつれ
作家の言葉は、重みと実感を増して来ているように思える。


最もよく愛する者は敗者である。そして最も苦しまねばならない。
トニオ・クレエゲルを出すまでもなく
多くを感じる者は、多く傷付き多くを憂い多くを悲しまねばならない。
感情の振れ幅が広いという事は、
多くを感動し多くを愛し多くを学ぶ事が出来るが
負の感情をも、多く受け取らなくてはならない。
それは時にしんどく、重いものだ。
私は多くを感じる側にいる。それをよく思う。

夫人のように、日常の様々が些細な小さな事にしか感じず
感情の起伏がなく、どんな事にも平成を保てて
全てを周りが守ってくれたら、どんなにいいかと
私は、まだ思っている。
この夫人のような人は、現代の社会では間違いなく成功する。
会社人としては、このようなタイプは必ず出世する。
苦をそう苦とも思わず、成し遂げてしまうだろう。


その人生が失敗なのだろうか?

では、私の人生は成功なのだろうか?


その答えは、きっと死ぬ時に分かるだろう。
自分の人生に後悔はないか。
生き抜いた。と胸を張って言えるのか。
この本から、静かにその問いかけをされた気がする。

この夫人のように平穏にいかない時には
この本を紹介してくれた知り合いは、
「でも私は、生きている!」と思って来たそうである。


「生きる事」は「生きている事を実感する事」
終わりなき戦いのような問いかけが、始まった。
死を迎えるその時に、人生が成功だったと言えるように
「生き抜け」と
「生きろ」と
自分の人生に向かって、背中を静かに押されたような気がする。


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すっきり晴れた。
秋晴れだ。

イワシ雲が出てる。
空気の透明感が出て来た。

いよいよ、秋だなあ。



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